ピエモンテのハーブ農家になる日(パパ): 2006年9月アーカイブ

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以前もご紹介した、ANTOS工房のあるOZZANO MONFERRATOの街の光景です。夏も終わり、夕暮れも秋の様相を感じます。実際気温は寒いくらいです。
この夜、この街の広場でANTOS叔父さんと息子のジャンルカ君などがメインとなって催しを行いました。イタリアの田舎ではあちこちによくある、屋外に設けた仮設飲食スペースで、料理を食べながら、いろいろな出し物を見るという、微笑ましき村の行事です。

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村のサッカー場などがある広場に、大きなテントを設営した会場現場です。席数は200はあるでしょうか、8時半の開場前から村の人々が集まり始めました。

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本番時は会場が暗く、また私のデジカメでは光源が乏しかったため、本番前の音合せの写真しか撮れずじまいでした、ごめんなさい。

叔父さんは昔(60年代)、I DORAGONIというバンドで、イタリア中を公演して廻り、その当時のイタリアのTVにもよく出演していた、ちょっとした有名人だったようで、以前当時の雑誌などに取り上げられていたスクラップ写真も見せてもらったことがあります。

若い頃はミュージシャンを目指していた叔父さんですが、やはりそれでも代々続く養蜂農家を継ぐことになり、それだけでは経済的に厳しいことや、自分らしい仕事も始めるために、現在の自家蜂蜜原料を使用する化粧品工房を始めたのですが、化粧品製造の知識も独学でイタリアとフランスの大学でマイスターを取得した努力家です。

一度はプロのミュージシャンを目指した叔父さんが、たぶんいろいろな理由があってそれを断念したのでしょうし、決して簡単な決断ではなかったことでしょう。その思いは今もどこか心の隅で息づいているのかもしれません。叔父さんの青春そのものなのですから。

大勢の観衆の黄色い声や、TVカメラのライトを浴びていた当時のことを思い出してもいるのでしょうか。
長い時が経ち、今はこうして地元の人々の余興のために、クールなベーシストとして演奏するその姿を見ていると、家族にも仕事にも充実した毎日を送る今の穏やかな日々の中にいて、その当時よりももっと幸せな気持ちで旋律を奏でているように見えてなりません。

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