2006年9月アーカイブ

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基礎化粧品シリーズが出来上がるまで毎日のように工房に通いました。
イタリア語と日本語の微妙な言い回しの違いなどが難問でしたが、アントスのジュリオおじさんの長年の経験を信頼してたくさん勉強させていただきました。

ギュッと濃厚な肌に良いエキスがたくさん詰まっています。植物グリセリン、レシチン、キサンタンガムは使用していないのでオイル分とエキスが分離している場合もありますが、あくまで使わなくても良い成分は使用しない、というポリシーを大切にしました。いろいろな自然化粧品も参考に見てもらいましたが、アントス独自の製法も守り通しました。

自然化粧品開発製造キャリア30年のアントスのレシピに新たに日本人のきめ細やかな肌を紫外線から守りくすみを取るローズヒップ、マロニエ等有機栽培植物成分が入っています。

品質安定のための保存料も従来どおり全て自然原料です。

化粧品容器とラベルデザインも決まりました。

日本との習慣の違いから最後まで難問だったクレンジングミルク、
http://www.idea-in.com/blog/archives/000141.html

洗い流しはあきらめてふき取り用にしよう、と考えていたときに「こんなのがあるんじゃけど。」と工房の棚からアントス伝統のOLIO LAVANTE という名前の製品をジュリオおじさんが目の前に持ってきてくれました。

肌の弱い人のために固形石鹸のかわりに使うオイルミルクソープというような感じの製品です。
オリーブオイルに石鹸成分とアロエ、ブドウ、フユボダイジュ、カレンドゥラ、カモミールなどのエキスが配合されています。アントスの古くからのイタリア人顧客の方からメークも石鹸で洗顔するようにこれを使う、という話を聞いて閃いたようです。新たに難しい説明をして開発しなくても実は望んでいたクレンジングが既に秘伝の製品にあったのです。
顔用クレンジング、と説明したのでイタリアの習慣にはない製品イメージがつかめなかったようです。

そういえば私事で恐縮ですが一昨年、足にひどいアトピーが再発して皮膚科に駆け込んだときに「一般の石鹸等洗浄剤は使わないでこれをしばらく使いなさい。」と薦められたのもこのタイプのオイル洗浄剤でした。
なるほど薬局に行くと日本では見かけないオイルミルク石鹸で全身を洗う製品が並べられています。
イタリア生まれの次男も病院の指導でこのタイプの洗浄剤を沐浴に薦められました。
肌が乾燥せず刺激なく洗えて、日本に帰ったときにいろいろ探してみましたが類似の製品を見つけることが出来ませんでした。

早速メーク落としの効果も試してみましたが、べとつきもなく気持ちが良くクレンジングタイムも楽しくなりました。
思わないところで結局最高のクレンジング洗い流し用が見つかりました。
これを手で撫でるように体も時々(ちょっと贅沢なので)洗ってしまいます。本来クレンジングミルクを肌に伸ばしてコットンでふき取る方法が一番肌に良いと思っていましたが、コットンの刺激や無駄も気になっていましたので最良のクレンジングミルクが完成してホッとしています。

今は毎日夜遅くまで日本での発売に向けて心を込めて丁寧にひとつひとつ作り上げています。

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以前もご紹介した、ANTOS工房のあるOZZANO MONFERRATOの街の光景です。夏も終わり、夕暮れも秋の様相を感じます。実際気温は寒いくらいです。
この夜、この街の広場でANTOS叔父さんと息子のジャンルカ君などがメインとなって催しを行いました。イタリアの田舎ではあちこちによくある、屋外に設けた仮設飲食スペースで、料理を食べながら、いろいろな出し物を見るという、微笑ましき村の行事です。

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村のサッカー場などがある広場に、大きなテントを設営した会場現場です。席数は200はあるでしょうか、8時半の開場前から村の人々が集まり始めました。

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本番時は会場が暗く、また私のデジカメでは光源が乏しかったため、本番前の音合せの写真しか撮れずじまいでした、ごめんなさい。

叔父さんは昔(60年代)、I DORAGONIというバンドで、イタリア中を公演して廻り、その当時のイタリアのTVにもよく出演していた、ちょっとした有名人だったようで、以前当時の雑誌などに取り上げられていたスクラップ写真も見せてもらったことがあります。

若い頃はミュージシャンを目指していた叔父さんですが、やはりそれでも代々続く養蜂農家を継ぐことになり、それだけでは経済的に厳しいことや、自分らしい仕事も始めるために、現在の自家蜂蜜原料を使用する化粧品工房を始めたのですが、化粧品製造の知識も独学でイタリアとフランスの大学でマイスターを取得した努力家です。

一度はプロのミュージシャンを目指した叔父さんが、たぶんいろいろな理由があってそれを断念したのでしょうし、決して簡単な決断ではなかったことでしょう。その思いは今もどこか心の隅で息づいているのかもしれません。叔父さんの青春そのものなのですから。

大勢の観衆の黄色い声や、TVカメラのライトを浴びていた当時のことを思い出してもいるのでしょうか。
長い時が経ち、今はこうして地元の人々の余興のために、クールなベーシストとして演奏するその姿を見ていると、家族にも仕事にも充実した毎日を送る今の穏やかな日々の中にいて、その当時よりももっと幸せな気持ちで旋律を奏でているように見えてなりません。

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